淨土和讚(日文) (中譯) 英文Jodo Wasan

高僧和讚(日文) (中譯) (英文Kosa Wasan

正像末和讚(日文) (中譯) (英文Shozomatsu Wasan


 

高僧和讃(共117首+2)Kosa  Wasan, こうそうわさん

龍樹讃(10首)

天親讃(10首)

曇鸞讃(34首)

道綽讃(7首)

善導讃(26首)

源信讃(10首)

源空讃(20首)

結讃(2首)共119首


龍樹讃(10首)

龍樹菩薩釈文に付けて

(十首)

 

(1)

本師龍樹菩薩は

智度』『十住毘婆沙』等

つくりておほく西をほめ

すすめて念仏せしめたり

本師龍樹菩薩者,著智度毘婆娑等

多讚揚西方淨土,勸勉眾生常念佛

 

(2)

南天竺に比丘あらん

龍樹菩薩となづくべし

有無の邪見を破すべしと

世尊はかねてときたまふ

世尊往昔曾預言,南天竺中有比丘

名為龍樹菩薩者,能破有無之邪見

 

(3)

本師龍樹菩薩は

大乗無上の法をとき

歓喜地を証してぞ

ひとへに念仏すすめける

本師龍樹菩薩者,宣說大乘無上法

自己證得歡喜地,偏勸眾生念彌陀

 

(4)

龍樹大士世にいでて

難行易行のみちをしへ

流転輪廻のわれらをば

弘誓のふねにのせたまふ

龍樹大士出於世,教導難行易行道

流轉輪回我等眾,應乘弘誓大願船

 

(5)

本師龍樹菩薩の

をしへをつたへきかんひと

本願こころにかけしめて

つねに弥陀すべし

龍樹菩薩之教理,如欲弘揚聽聞者

應將本願繫於心,時常稱名念彌陀

 

(6)

不退のくらゐすみやかに

えんとおもはんひとはみな

恭敬執持して

弥陀名号称すべし

若人欲疾至,不退轉地者

應以恭敬心,執持稱名號

 

(7)

生死苦海ほとりなし

ひさしくしづめるわれらをば

弥陀弘誓のふねのみぞ

のせてかならずわたしける

生死苦海無邊際,曠劫沉沒之我等

唯有彌陀弘誓船,乘彼願船必能度

 

(8)

『智度論』にのたまはく

如来は無上法皇なり

菩薩は法臣としたまひて

尊重すべきは世尊なり

智度論中曾有言,如來是無上法王

菩薩可視為法臣,所應尊重是世尊

 

(9)

一切菩薩ののたまはく

われら因地にありしとき

無量劫をへめぐりて

万善諸行を修せしかど

一切菩薩作此言,我等曾在因地時

歷經無量劫之久,雖修行萬善萬行

 

(10)

恩愛はなはだたちがたく

生死はなはだつきがたし

念仏三昧行じてぞ

罪障を滅し度脱せし

恩愛業緣甚難斷,生死輪回甚難盡

唯信受念佛三昧,滅除罪障得度脫

 

以上龍樹菩薩

 

天親讃(10首)

 

天親菩薩釈文に付けて(十首)

 

(11)

釈迦の教法おほけれど

天親菩薩はねんごろに

煩悩成就のわれらには

弥陀弘誓をすすめしむ

釋迦教法雖然多,天親菩薩誠懇勸

煩惱成就之我等,應依彌陀之弘誓

 

(12)

安養浄土の荘厳は

唯仏与仏の知見なり

究竟せること虚空にして

広大にして辺際なし

安樂淨土之莊嚴,唯佛與佛始能知

若論究竟如虛空,恢廓廣大無邊際

 

(13)

本願力にあひぬれば

むなしくすぐるひとぞなき

功徳の宝海みちみちて

煩悩の濁水へだてなし

如能得遇本願力,必定無有空過者

充滿功德大寶海,不隔煩惱諸濁水

 

(14)

如来浄華の聖衆

正覚のはなより化生して

衆生の願楽ことごとく

すみやかにとく満足す

如來淨華諸聖眾,正覺華中所化生

眾生一切之願樂,皆能疾速得滿足

 

(15)

天人不動の聖衆

弘誓の智海より生ず

心業の功徳清浄にて

虚空のごとく差別なし

天人不動之聖眾,皆從弘誓智海生

心業功德俱清淨,猶如虛空無差別

 

(16)

天親論主は一心に

無碍光に帰命す

本願力に乗ずれば

報土にいたるとのべたまふ

天親論主說一心,歸命十方無礙光

若乘彌陀本願力,必到安樂之報土

 

(17)

尽十方無碍光仏

一心帰命するをこそ

天親論主のみことには

願作仏心とのべたまへ

唯有一心歸命彼,盡十方無礙光佛

天親論主之言曰,此即是願作佛心

 

(18)

願作仏の心はこれ

度衆生のこころなり

度衆生の心はこれ

利他真実の信心なり

所謂願作佛之心,即是度眾生之心

度眾生之心即是,利他真實之信心

 

(19)

信心すなはち一心なり

一心すなはち金剛心

金剛心は菩提心

この心すなはち他力なり

信心者即是一心,一心即是金剛心

金剛心是菩提心,此心亦即是他力

 

(20)

願土にいたればすみやかに

無上涅槃を証してぞ

すなはち大悲をおこすなり

これを回向となづけたり

若到願土即速能,得證無上般涅槃

即能發起大慈悲,此即名之為回向

 

以上天親菩薩

 

曇鸞讃(34首)

曇鸞和尚釈文に付けて(三十四首)

 

 

(21)

本師曇鸞和尚は

菩提流支のをしへにて

仙経ながくやきすてて

浄土にふかく帰せしめき

本師曇鸞和尚者,承菩提流支教導

焚燒長命之仙經,深歸往生淨土門

 

(22)

四論の講説さしおきて

本願他力をときたまひ

具縛の凡衆をみちびきて

涅槃のかどにぞいらしめし

擱置四論之講說,廣演本願他力教

引導具縛諸凡眾,平等進入涅槃門

 

(23)

世俗の君子幸臨

勅して浄土のゆゑをとふ

十方仏国浄土なり

なにによりてか西にある

世俗君王禦幸臨,敕問淨土之原由

十方佛國皆淨土,云何但言生西方

 

(24)

鸞師こたへてのたまはく

わが身は智慧あさくして

いまだ地位にいらざれば

念力ひとしくおよばれず

鸞師即時回答曰,我身智慧尚淺薄

尚未進入此地位,念力亦且猶未及

 

(25)

一切道俗もろともに

帰すべきところぞさらになき

安楽勧帰のこころざし

鸞師ひとりさだめたり

一切道俗皆同是,無所歸處輪回身

勸歸安樂之心志,曇鸞大師獨決定

 

(26)

魏の主勅して并州

大巌寺にぞおはしける

やうやくをはりにのぞみては

汾州にうつりたまひにき

魏國君王曾敕令,賜居並州大岩寺

漸至晚年來臨時,遷往汾州作定居

 

(27)

魏の天子はたふとみて

神鸞とこそ号せしか

おはせしところのその名をば

鸞公巌とぞなづけたる

魏朝天子致尊敬,特賜名號為神鸞

又將其所居住處,賜名稱為鸞公岩

 

(28)

浄業さかりにすすめつつ

玄中寺にぞおはしける

魏の興和四年

遥山寺にこそうつりしか

聚眾勸導修淨業,當時住於玄中寺

於魏興和四年間,遷移入住遙山寺

 

(29)

六十有七ときいたり

浄土の往生とげたまふ

そのとき霊瑞不思議にて

一切道俗帰敬しき

春秋六十有七歲,達成淨土之往生

其時靈瑞不思議,一切道俗皆歸敬

 

(30)

君子ひとへにおもくして

勅宣くだしてたちまちに

汾州汾西秦陵

勝地に霊廟たてたまふ

君王始終甚敬重,頒下敕宣令立刻

在汾州汾西秦陵,勝地之處建靈廟

 

(31)

天親菩薩のみことをも

鸞師ときのべたまはずは

他力広大威徳の

心行いかでかさとらまし

天親菩薩淨土論,若無鸞師造注解

他力廣大威德之,心行如何得悟知

 

(32)

本願円頓一乗は

逆悪摂すと信知して

煩悩・菩提体無二

すみやかにとくさとらしむ

本願乃圓頓一乘,信知能攝逆惡人

至極速疾能得悟,煩惱菩提體無二

 

(33)

いつつの不思議をとくなかに

仏法不思議にしくぞなき

仏法不思議といふことは

弥陀弘誓になづけたり

五種不思議之中,無比佛法不思議

所謂佛法不思議,名為彌陀之弘誓

 

(34)

弥陀の回向成就して

往相・還相ふたつなり

これらの回向によりてこそ

心行ともにえしむなれ

彌陀成就所回向,有往相還相兩種

唯憑此等之回向,心行同時皆可得

 

(35)

往相の回向ととくことは

弥陀の方便ときいたり

悲願の信行えしむれば

生死すなはち涅槃なり

所謂往相之回向,是為彌陀方便力

若得悲願信行者,得知生死即涅槃

 

(36)

還相の回向ととくことは

利他教化の果をえしめ

すなはち諸有回入して

普賢の徳を修するなり

所謂還相之回向,令得利他教化果

即是使回入諸有,而修習普賢妙德

 

(37)

論主の一心ととけるをば

曇鸞大師のみことには

煩悩成就のわれらが

他力の信とのべたまふ

所謂論主之一心,曇鸞大師曾解說

煩惱成就之我等,所得他力之信心

 

(38)

尽十方の無碍光は

無明のやみをてらしつつ

一念歓喜するひと

かならず滅度にいたらしむ

盡十方無礙光佛,能照破無明黑暗

使一念歡喜之人,必可得至於滅度

 

(39)

無碍光の利益より

威徳広大の信をえて

かならず煩悩のこほりとけ

すなはち菩提のみづとなる

依無礙光之利益,得威德廣大之信

煩惱凝冰必溶解,即可成為菩提水

 

(40)

罪障功徳の体となる

こほりとみづのごとくにて

こほりおほきにみづおほし

さはりおほきに徳おほし

罪障成為功德體,猶如冰與水之間

冰若多時水亦多,罪障多時功德多

 

(41)

名号不思議の海水は

逆謗の屍骸もとどまらず

衆悪の万川帰しぬれば

功徳のうしほに一味なり

名號不思議海水,不留逆謗諸屍骸

眾惡萬川若歸入,皆成功德海一味

 

(42)

尽十方無碍光の

大悲大願の海水に

煩悩の衆流帰しぬれば

智慧のうしほに一味なり

煩惱眾流若歸入,盡十方無礙光之

大悲大願海水中,皆成功德海一味

 

(43)

安楽仏国に生ずるは

畢竟成仏の道路にて

無上の方便なりければ

諸仏浄土をすすめけり

往生彼安樂佛國,是畢竟成佛之道

無上殊勝方便故,諸佛勸勉生淨土

 

(44)

諸仏三業荘厳して

畢竟平等なることは

衆生虚誑の身口意を

治せんがためとのべたまふ

諸佛之莊嚴三業,悉皆畢竟平等者

佛說其乃是為治,眾生虛誑身口意

 

(45)

安楽仏国にいたるには

無上宝珠名号

真実信心ひとつにて

無別道故とときたまふ

欲到安樂佛國者,無上寶珠之名號

與真實信心一體,鸞師言無別道故

 

(46)

如来清浄本願の

無生の生なりければ

本則三三の品なれど

一二もかはることぞなき

由如來清淨本願,所成就無生之生

故本則三三之品,今實無一二之殊

 

(47)

無碍光如来名号

かの光明智相とは

無明長夜の闇を破し

衆生の志願をみてたまふ

無礙光如來名號,與彼光明之智相

能破眾生無明暗,能滿眾生一切願

 

(48)

不如実修行といへること

鸞師釈してのたまはく

一者信心あつからず

若存若亡するゆゑに

所謂不如實修行,曇鸞大師作解說

一者信心不淳厚,若存若亡之緣故

 

(49)

二者信心一ならず

決定なきゆゑなれば

三者信心相続せず

余念間故とのべたまふ

二者信心不專一,以無決定之緣故

三者信心不相續,餘念間故是其因

 

 

(50)

三信展転相成す

行者こころをとどむべし

信心あつからざるゆゑに

決定の信なかりけり

此三信輾轉相成,是故行者當繫意

因為信心不淳厚,故致無決定之信

 

(51)

決定の信なきゆゑに

念相続せざるなり

念相続せざるゆゑ

決定の信をえざるなり

因為無決定之信,故導致念不相續

因為念不相續故,不得決定之信心

 

(52)

決定の信をえざるゆゑ

信心不淳とのべたまふ

如実修行相応

信心ひとつにさだめたり

因不得決定之信,故說信心不淳厚

如實修行相應者,決定於一個信心

 

(53)

万行諸善の小路より

本願一実の大道

帰入しぬれば涅槃の

さとりはすなはちひらくなり

由萬行諸善小路,歸本願一實大道

若能歸入本願者,即開涅槃之證悟

 

(54)

本師曇鸞大師をば

梁の天子蕭王

おはせしかたにつねにむき

鸞菩薩とぞ礼しける

梁國之天子蕭王,尊本師曇鸞大師

常向鸞師所住處,禮拜稱為鸞菩薩

 

以上曇鸞和尚

 

道綽讃(7首)

 

道綽禅師釈文に付けて(七首)

 

(55)

本師道綽禅師は

聖道万行さしおきて

唯有浄土一門を

通入すべきみちととく

本師道綽禪師者,擱置聖道之萬行

唯有淨土之一門,說為可通入之道

 

(56)

本師道綽大師は

涅槃の広業さしおきて

本願他力をたのみつつ

五濁の群生すすめしむ

本師道綽禪師者,擱置涅槃之廣業

勸勉五濁之群生,歸信本願之他力

 

(57)

末法五濁の衆生は

聖道の修行せしむとも

ひとりも証をえじとこそ

教主世尊はときたまへ

教主世尊如是說,末法五濁之眾生

縱令修行聖道門,亦無一人可得證

 

(58)

鸞師のをしへをうけつたへ

綽和尚はもろともに

在此起心立行

此是自力とさだめたり

繼承鸞師之教理,綽和尚亦同鸞師

在此起心立行者,判定言此是自力

 

(59)

濁世起悪造罪は

暴風駛雨にことならず

諸仏これらをあはれみて

すすめて浄土に帰せしめり

濁世起惡造罪業,無異暴風與駛雨

諸佛憐湣此等故,皆勸回歸生淨土

 

(60)

一形悪をつくれども

専精にこころをかけしめて

つねに念仏せしむれば

諸障自然にのぞこりぬ

縱使一生造惡業,但使能繫意專精

常念彼阿彌陀佛,諸障自然皆消除

 

(61)

縦令一生造悪の

衆生引接のためにとて

称我名字と願じつつ

若不生者とちかひたり

縱令一生曾造惡,佛亦來接引眾生

已發願稱我名號,且誓言若不生者

 

以上道綽大師

 

善導讃(26首)

 

善導大師釈文に付けて(二十六首)

 

(62)

大心海より化してこそ

善導和尚とおはしけれ

末代濁世のためにとて

十方諸仏に証をこふ

因從大心海化現,故稱為善導和尚

但為末代濁惡世,請十方諸佛作證

 

(63)

世々に善導いでたまひ

法照・少康としめしつつ

功徳蔵をひらきてぞ

諸仏の本意とげたまふ

善導世世皆示現,曾現法照與少康

教示開顯功德藏,遂諸佛出世本意

 

(64)

弥陀の名願によらざれば

百千万劫すぐれども

いつつのさはりはなれねば

女身をいかでか転ずべき

不依彌陀之名願,雖經百千萬劫後

猶不能脫離五障,如何能得脫女身

 

(65)

釈迦は要門ひらきつつ

定散諸機をこしらへて

正雑二行方便し

ひとへに専修をすすめしむ

釋迦開觀經要門,引導定散諸機類

正雜二行乃方便,意在偏勸專稱名

 

(66)

助正ならべて修するをば

すなはち雑修となづけたり

一心をえざるひとなれば

仏恩報ずるこころなし

助正兩業兼修者,善導名之謂雜修

不得一心之人故,不存報佛恩之心

 

(67)

仏号むねと修すれども

現世をいのる行者をば

これも雑修となづけてぞ

千中無一ときらはるる

雖稱名念佛為本,但祈現世之利益

此亦名之為雜修,被嫌為千中無一

 

(68)

こころはひとつにあらねども

雑行・雑修これにたり

浄土の行にあらぬをば

ひとへに雑行となづけたり

雖然意義各不同,雜行雜修相類似

皆非專修淨土行,是故皆名為雜行

 

(69)

善導大師証をこひ

定散二心をひるがへし

貪瞋二河の譬喩をとき

弘願の信心守護せしむ

善導大師請佛證,回轉定散之二心,

闡述貪瞋二河喻,守護弘願大信心。

 

(70)

経道滅尽ときいたり

如来出世本意なる

弘願真宗にあひぬれば

凡夫念じてさとるなり

經道滅盡時期至,如來出世本意之

弘願真宗若得遇,凡夫亦能念而悟

 

(71)

仏法力の不思議には

諸邪業繋さはらねば

弥陀の本弘誓願を

増上縁となづけたり

佛法力之不思議,諸邪業繫無能礙

故彌陀本弘誓願,善導名為增上緣

 

(72)

願力成就の報土には

自力の心行いたらねば

大小聖人みなながら

如来弘誓ずなり

願力成就之報土,自力心行不能到

大小聖人皆共同,唯乘如來之弘誓

 

(73)

煩悩具足と信知して

本願力に乗ずれば

すなはち穢身すてはてて

法性常楽証せしむ

信知煩惱具足身,若能乘本願力者

即能捨棄此穢身,令證法性之常樂

 

(74)

釈迦・弥陀は慈悲の父母

種々に善巧方便し

われらが無上の信心

発起せしめたまひけり

釋迦如來彌陀佛,是我等慈悲父母

以種種方便發起,我等無上之信心

 

(75)

真心徹到するひとは

金剛心なりければ

三品の懺悔するひとと

ひとしと宗師はのたまへり

真心徹到之眾生,此心成為金剛心

等同三品懺悔人,善導宗師如是說

 

(76)

五濁悪世のわれらこそ

金剛の信心ばかりにて

ながく生死をすてはてて

自然の浄土にいたるなれ

五濁惡世之我等,唯憑金剛之信心

可永遠捨離生死,速到自然之淨土

 

(77)

金剛堅固の信心の

さだまるときをまちえてぞ

弥陀の心光摂護して

ながく生死をへだてける

金剛堅固之信心,得待此心決定時

彌陀心光永攝護,永隔生死超輪回

 

(78)

真実信心えざるをば

一心かけぬとをしへたり

一心かけたるひとはみな

三信具せずとおもふべし

不得真實信心者,即是欠缺一心故

應知凡缺一心者,皆是不具足三信

 

(79)

利他の信楽うるひとは

願に相応するゆゑに

教と仏語にしたがへば

外の雑縁さらになし

獲得利他信樂人,則與佛願相應故

若順佛教與佛語,外之雜緣自然無

 

(80)

真宗念仏ききえつつ

一念無疑なるをこそ

希有最勝人とほめ

正念をうとはさだめたれ

若聞真宗之念佛,無有一念之疑者

讚為稀有最勝人,判定為得正念故

 

(81)

本願相応せざるゆゑ

雑縁きたりみだるなり

信心乱失するをこそ

正念うすとはのべたまへ

與佛本願不相應,故遭雜緣來亂動

唯因信心亂失故,說此謂之失正念

 

(82)

信は願より生ずれば

念仏成仏自然なり

自然はすなはち報土なり

証大涅槃うたがはず

信乃從願所生故,念佛成佛是自然

自然亦即是報土,決定必證大涅槃

 

(83)

五濁増のときいたり

疑謗のともがらおほくして

道俗ともにあひきらひ

修するをみてはあだをなす

五濁增盛時若至,疑謗之輩將增多

道俗互為相嫌厭,見修行者作為仇

 

(84)

本願毀滅のともがらは

生盲闡提となづけたり

大地微塵劫をへて

ながく三塗にしづむなり

毀滅本願眾徒輩,可名為生盲闡提

雖經大地微塵劫,永沉三途難得離

 

(85)

西路を指授せしかども

自障障他せしほどに

曠劫以来もいたづらに

むなしくこそはすぎにけれ

雖曾指授西歸路,自障障他還如故

曠劫以來常輪轉,徒然生死空逝過

 

(86)

弘誓のちからをかぶらずは

いづれのときにか娑婆をいでん

仏恩ふかくおもひつつ

つねに弥陀ずべし

不蒙彌陀弘誓力,何時何劫出娑婆

深念佛恩思報答,恒常不忘念彌陀

 

(87)

娑婆永劫の苦をすてて

浄土無為を期すること

本師釈迦のちからなり

長時に慈恩を報ずべし

捨離娑婆永劫苦,期生淨土無為樂

皆是本師釋迦力,長時讚佛報慈恩

 

以上善導大師

 

源信讃(10首)

 

源信大師釈文に付けて(十首)

 

 

(88)

源信和尚ののたまはく

われこれ故仏とあらはれて

化縁すでにつきぬれば

本土にかへるとしめしけり

源信大師臨終言,我是古佛所示現

教化因緣已盡故,今日欲還歸本土

 

(89)

本師源信ねんごろに

一代仏教のそのなかに

念仏一門ひらきてぞ

濁世末代をしへける

本師源信甚殷勤,一代佛教之法中

開啟念佛之一門,教導濁世末代人

 

(90)

霊山聴衆とおはしける

源信僧都のをしへには

報化二土ををしへてぞ

専雑の得失さだめたる

源信僧都臨終言,我本靈山一聽眾

辨立報化之二土,判定專雜之得失

 

(91)

本師源信和尚は

懐感禅師の釈により

処胎経』をひらきてぞ

懈慢界をばあらはせる

本師源信和尚者,依懷感禪師論釋

將處胎經中所言,懈慢界事說顯明

 

(92)

専修のひとをほむるには

千無一失とをしへたり

雑修のひとをきらふには

万不一生とのべたまふ

稱讚專修者,謂千無一失

嫌貶雜修者,謂萬不一生

 

(93)

報の浄土の往生は

おほからずとぞあらはせる

化土にうまるる衆生をば

すくなからずとをしへたり

往生報之淨土者,釋之曰為數不多

往生化土之眾生,釋之曰為數不少

 

(94)

男女貴賤ことごとく

弥陀名号称するに

行住座臥もえらばれず

時処諸縁もさはりなし

男女貴賤等皆同,但稱彌陀之名號

行住坐臥不選擇,時處諸緣無障礙

 

(95)

煩悩にまなこさへられて

摂取の光明みざれども

大悲ものうきことなく

つねにわが身をてらすなり

煩惱障眼雖不見,彌陀攝取之光明

大悲始終無厭倦,常照我身不捨離

 

(96)

弥陀の報土をねがふひと

外儀のすがたはことなりと

本願名号信受して

寤寐にわするることなかれ

欲生彌陀報土者,外儀雖各不相同

應信受本願名號,寤寐莫忘念彌陀

 

(97)

極悪深重の衆生は

他の方便さらになし

ひとへに弥陀してぞ

浄土にうまるとのべたまふ

極惡深重之眾生,更無其他方便法

唯有稱念彌陀佛,決定往生極樂國

 

以上源信大師

 

源空讃(20首)

 

源空聖人釈文に付けて(二十首)

 

(98)

本師源空世にいでて

弘願の一乗ひろめつつ

日本一州ことごとく

浄土の機縁あらはれぬ

本師源空出於世,廣開本願之一乘

日本一州皆普遍,現出淨土之機緣

 

(99)

智慧光のちからより

本師源空あらはれて

浄土真宗をひらきつつ

選択本願のべたまふ

由智慧光之力,示現本師源空

開啟淨土真宗,撰述選擇本願

 

(100)

善導・源信すすむとも

本師源空ひろめずは

片州濁世のともがらは

いかでか真宗をさとらまし

雖經善導源信勸,若無本師源空弘

片州濁世諸朋輩,如何能得悟真宗

 

(101)

曠劫多生のあひだにも

出離の強縁しらざりき

本師源空いまさずは

このたびむなしくすぎなまし

雖經曠劫多生久,不知出離之強緣

若非本師源空教,虛度此生又一回

 

(102)

源空三五のよはひにて

無常のことわりさとりつつ

厭離の素懐をあらはして

菩提のみちにぞいらしめし

源空歲在三五齡,即悟得無常之理

表明厭離之素懷,進入求菩提之道

 

(103)

源空智行の至徳には

聖道諸宗の師主

みなもろともに帰せしめて

一心金剛の戒師とす

源空智行之至德,雖聖道諸宗師主

悉皆共來作依止,為一心金剛戒師

 

(104)

源空存在せしときに

金色の光明はなたしむ

禅定博陸まのあたり

拝見せしめたまひけり

源空在世化導時,曾放金色之光明

禪定博陸在面前,令其親眼得拜見

 

(105)

本師源空の本地をば

世俗のひとびとあひつたへ

綽和尚称せしめ

あるいは善導としめしけり

本師源空之本地,世俗人人皆相傳

或謂綽和尚再誕,還稱善導所示現

 

(106)

源空勢至と示現し

あるいは弥陀と顕現す

上皇・群臣尊敬し

京夷庶民欽仰す

源空乃勢至所現,亦是彌陀之化身

上皇群臣皆尊敬,京夷庶民咸欽仰

 

(107)

承久の太上法皇

本師源空を帰敬しき

釈門儒林みなともに

ひとしく真宗に悟入せり

承久之太上法皇,已歸敬本師源空

釋門儒林亦偕同,齊來共悟入真宗

 

(108)

諸仏方便ときいたり

源空ひじりとしめしつつ

無上の信心をしへてぞ

涅槃のかどをばひらきける

諸佛方便時節至,示現源空聖人身

教導無上之信心,開啟涅槃之法門

 

(109)

真の知識にあふことは

かたきがなかになほかたし

流転輪廻のきはなきは

疑情のさはりにしくぞなき

欲遇真實善知識,實是難中又最難

流轉輪回無邊際,無若疑情之障者

 

(110)

源空光明はなたしめ

門徒につねにみせしめき

賢哲・愚夫もえらばれず

豪貴・鄙賤もへだてなし

源空身上放光明,門徒恒得親眼見

不擇賢哲與愚夫,無分豪貴及鄙賤

 

(111)

命終その期ちかづきて

本師源空のたまはく

往生みたびになりぬるに

このたびことにとげやすし

命終之期接近時,本師源空曾言曰

往生已是第三次,此次尤得易達成

 

(112)

源空みづからのたまはく

霊山会上にありしとき

声聞僧にまじはりて

頭陀を行じて化度せしむ

源空親自曾言曰,昔在靈山會上時

置身聲聞僧眾中,修行頭陀而化度

 

(113)

粟散片州に誕生して

念仏宗をひろめしむ

衆生化度のためにとて

この土にたびたびきたらしむ

誕生粟散片州中,開啟弘揚念佛宗

專為度化眾生類,數次示現娑婆界

 

(114)

阿弥陀如来化してこそ

本師源空としめしけれ

化縁すでにつきぬれば

浄土にかへりたまひにき

阿彌陀如來化身,示現為本師源空

教化機緣已經盡,是故還歸於淨土

 

(115)

本師源空のをはりには

光明紫雲のごとくなり

音楽哀婉雅亮にて

異香みぎりに映芳す

本師源空臨終時,空中光明如紫雲

音樂哀婉而雅亮,異香映芳滿庭園

 

(116)

道俗男女預参し

卿上雲客群集す

頭北面西右脇にて

如来涅槃の儀をまもる

道俗男女來相見,公卿殿上共群集

頭北面西右脅臥,遵守如來涅槃儀

 

(117)

本師源空命終時

建暦第二壬申歳

初春下旬第五日

浄土に還帰せしめけり

本師源空命終時,建曆第二壬申歲

初春下旬第五日往生還歸於淨土

 

以上源空聖人

高僧和讃

以上七高僧和讃一百十七首

 

結讃

 

 

(118)

五濁悪世の衆生の

選択本願信ずれば

不可称不可説不可思議

功徳は行者の身にみてり

五濁惡世之眾生,若信選擇本願者

不可稱說不思議,功德滿入行者身

 

天竺{龍樹菩薩,天親菩薩}

震旦{曇鸞和尚,道綽禅師,善導禅師}

和朝{源信和尚,源空聖人}

[以上七人]

聖徳太子,{敏達天皇元年,正月一日誕生したまふ。}

仏滅後一千五百二十一年に当れ

り。

 

聖德太子,敏達天皇元年正月一日誕生

當佛滅後一千五百二十一年也

 

(119)

南無阿弥陀仏をとけるには

衆善海水のごとくなり

かの清浄の善身にえたり

ひとしく衆生に回向せん

 

闡釋南無阿彌陀,眾善無邊如海水

得彼清淨之善身,平等回向於眾生

 

 

 

創作者介紹

活在恩海裡

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