土橋秀高(Shuko Tsuchihashi, 1914-1989

 

中國佛教思想學者,龍谷大學的教授,山科真光寺住職。著作論文達63項。

★詩作:西天的穹蒼,雲朵鑲著光芒,何其之美

 

【著作】

『四分戒本疏』巻第四について

ウバソク戒經の問題

スタイン收集の受八齋戒儀について

一宗の展開

戒体について

戒律 -- 親鸞教の場合(第十八回学術大会紀要)

戒律とは何か

戒律と王論--梵網戒に關連して=Vinaya and Monarchy

戒律の研究

戒律の研究(第二)

戒律の限界

戒律の在俗性中國の菩薩戒本より

戒律の展開

戒律の理念= Concept of Precepts

戒律の領域について(第二十六回学術大会紀要特集)

戒律思想の展開= Development of ideas about Buddhist Precepts

戒觀小考

元照戒觀の展望

行への想念

沙門慧述『四分戒本疏』巻第一について

在家道としての十善戒(第十六回学術大会紀要)

四部律及論要抄 解説

四分律雑鈔

守屋コレクション「自誓受戒作法」について

十善戒の系譜--世間法より菩薩戒へ= Genelogical Table in the Dasa Kusala Sila

俊□の律制

常樂我淨について

真宗行儀と戒律

親鸞聖人の涅槃経観

性と修の問題--涅槃經に於ける展開=しょうとしゅうのもんだい=Nature and Realization in the Mahaaparinirvaa.na Suutra

西域考古圖譜所收羯磨斷片考

大乗戒と小乗戒

大乘涅槃經の戒律說= Vinaya on the Mahayana Mahaparinirvaasutra

中國における戒律の屈折--僧制 清規を中心に=On the Buddhist Precepts in Chinese

中國における羯磨の變遷 -- スタイン本を中心にして

道宣の菩薩戒

敦煌資料「佛說提謂五戒經并威儀卷下」について

敦煌出土律典「略抄」の研究= On Lueh-chaoAbridged Vinya Textform the Causes of Tun-Huang 2

敦煌出土律典の特色スタイン本を主として

敦煌出土佛典の研究=とんこうしゅつどぶってんのけんきゅう=A Study on the Vinaya Text Shan-hsin-p'u-sa-rh-shih-ssuu-chieh-ching Syuko

敦煌仏教史年表

敦煌本「十誦戒疏」考

敦煌本にみられる種々の菩薩戒儀 -- スタイン本を中心として

敦煌本受菩薩戒儀考

毘尼と懺悔

毘尼討要と四方律行事鈔= On the Chinese Vinaya Text Pi-ni-t'ao-yao and Ssu-fen-lu-shan-fan-pu-sh'ueh-hsing-shih-ch'ao

仏教における戒律観の推移について(第二十九回学術大会紀要特集)

菩薩像國清百錄の場合

菩薩律儀としての十善戒

懺悔と治罰--戒律思想の一支點=さんげととちばつ=A Study of Confession and Chastisement in Vinaya

涅槃經の八種不淨物について

涅槃經五行の展開= Fivefold Practice of the Mahaparinirvana-nama-Mahayana Sutra

 

 


 

 

両親(おや)おくり妻先にゆき子の急ぐ

  茜の雲は美しきかな

 

土橋秀高(大正31914)年~平成元年(1989)■昭和期の中国仏教思想研究者。龍谷大学教授.

著書 『雲わき雲光る』

「親鸞聖人と涅槃経」「授戒儀礼の変遷」等63件の論文

 

60才(定年より5年早く)龍谷大学教授辞任。子息(京都大学仏教学(院)、インド留学)の就職(東海大学助教授)を期に自坊(山科 真光寺)に戻り住職専業。その1,2年後、奥さん、暫くの患いで逝去。その1年後、自坊全焼(夕事のローソクの灯の消し忘れが因。住職1人住まい故、防音の書斎に入っていて気づかず。通行人が発見。火炎の中、消化器を取りに入り、頭、腕に火傷)。「私の責任」と詫びる。火災の翌日、「真光寺本堂庫裏再建委員会」立ち上がる(門徒の支援篤い)。2年半後に復興する。

 しかし、その1年前、東京から若坊守と孫2人、山科の寺に帰っており、子息は単身赴任。

毎日のように電話連絡。ところがある時、通じない。一週間ほどして、住職上京。電気こたつに足入れて自殺している子息を発見。死臭。遺書「自分が先にいくから葬式はしないで」。東京で火葬。山科の再建まっさらの本堂で葬儀。子息の腕時計一個を形見としてもつ。

「この孫2人が成人するまでは老骨に鞭打って頑張る」と式で挨拶。会葬者の涙をそそる。

 ところが1年後、一周忌の翌日、若坊守は2人の子どもをつれて寺を去る。

 全くの一人となる。教え子の浅田正博氏、先生を訪ね・見舞う。話は子息のことばかり。

 「春浅し部屋の隅よりせまりくる

   寂しさの中にわが子の声あり」

 「無字の経いつまであげる蝉和尚 

   その抑揚にわが子をしのぶ」

 「虫の音は血縁の糸ひきてやまず

   あの音あの声我呼ぶがごとし」

        …『雲わけ雲ひかる』所載

 こういう悲しみの中にも

 「逝きしあとなおも動けるこの時計

   永きいのちの尊さを思う」

 という法悦もある。

 

本堂に詣ると登礼盤上に色紙

 「両親(おや)おくり妻先にゆき子の急ぐ

    茜の雲は美しきかな」

どうして下の句がでるか?

 「娑婆の世界にわれを残して」という愚痴でない。このような苦しみの中で、感謝の念仏が出るのか。祈りの念仏にならないか。

 「願かけていのる心に先立ちて

   寄り添うみ親あるを思わず」

 という気持ちもあった。『雲わき雲光る』所載

先生の遺品の中に色紙

 「南無

  悔恨すれども歳かえらず

  憂悩すれども歳はからず

  悲喜ともに慈恩なり」

 

「光雲無碍如虚空 一切の有碍にさはりなし」

└ひかりぐも 

 碍りの雲に夕日の光があたると、碍りのまま

茜色にかがやく。悔恨、憂悩(障害物)も浄土の光に照らされると、涅槃の光(茜の雲)にかがやくのである。苦しみ(雲)があるからこそ、

お慈悲が知らされる。苦しみから逃げようとすると祈りになる。

 「茜の雲は美しい」とは単なるお浄土の讃嘆ではなく、苦難という雲が、浄土の慈光に輝くという意味であった。

 

《後日談》 

  晩年、門徒のすすめで再婚。ところがその坊守、異宗。門徒が相談にくると「祟っている」云々。離婚裁判。離婚のため、別居(住職が寺を出て、親戚を転々。)数年かかってようやく離婚成立。その10日後に住職逝去。

 

(浅田正博 取意)

  

(出典福井市田原町光明寺特別法話

  本願寺勧学 浅田正博「あかねの雲は美し  きかな」 了慶寺CD34

【キーワード】苦難 多難 慈光 遇斯光

  生死即涅槃 

 

 

 

 

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